「思い」は見えないけど「思いやり」は見えるという話

「思い」は見えないけど「思いやり」は見えるという話

オレっちが昔からよく意識していることなんですが、人の「心」や「気持ち」「思い」というのは、その人にしか分からないことですよね。

しかも後になってから「やろうと思ってた」とか、「気づいてたんだけど」なんてこともあったりします。結果、後悔に繋がったりして落ち込むこともしばしば。



ポイントはアクションなんです

結局、「心」や「思い」というのは、内に秘めているだけでは絶対に見えないものなんです。それどころか、「やろうと思ってやっていないこと」なんてものは、間違いなく形はなくて、「何も無いのと同じ」なんですね。

なんてこった。_:(´ཀ`」 ∠):

それでも、「人と接する時」や「周囲に自分以外の誰かがいる場合」、それらに気を配り、心遣いをして、その上で自分の言動に気をつけて立ち居振る舞いをする時、見えなかった「心」や「思い」が、「心遣い」として、「思いやり」として、それはその人の「行動(アクション)」として見えるようになるんです。

人を思う。相手を思う。

そうした気持ちは、自らの行動として現わす時、はじめて見えるものとなり、自分はもちろん人にも笑顔をもたらすことに繋がるんだとオレっちは考えます。

時には恥ずかしいこともあるかもしれません。どう思われるかなと気にしてしまうこともあるかもしれません。それでも、やらない後悔よりも、やって失敗した後悔の方が確実に自分の糧になるとも思います。それはもはや後悔ではなく反省になりますしね。

いつも笑顔でいたい。そのために見えない思いを見える思いやりに変えて、年中夢中でありたい。そう思った次第です。



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フリーランスブロガーPino
年中夢中の日々が最高だと目指し、生活の全てを楽しくおもしろく、驚きと共に笑って生きていきたいと願ってる。
Apple製品をこよなく愛している。
当たり前のことを何のひねりもなく哲学風に言うことがある。笑

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